2007.01.11

玄米の食べ方

「玄米って美味しいの?」と聞かれることがあります。そんな時の私の答えは決まっています。「はい、世界一です」

マクロビオティックの普及団体、日本CI協会の会長、勝又靖彦氏は協会のHPにこう書いていらっしゃる。僕は玄米食は嫌いではないが、玄米が世界一おいしいといわれると、正直、抵抗がないではない。今年の初めに精米機を買ってから七分づき、五分づき、三分づき、玄米といろいろな米の食べ方を試したが、それをとおして、やはり米は白米で食べておいしいことを目指して進化してきたのだと痛感した。そういう意味では、玄米が白米より旨いともしいわれると、そういうものかなあと訝しく思ってしまう面もある。しかし逆に、勝又氏が述べていらっしゃるよう、なるほど玄米を一口一口噛みしめながら食べる体験には他の何にも代えがたいものがある。だとすると、その「代えがたい体験」を「おいしい」と表現するかどうかというだけの、たんなる言葉の問題なのかもしれない。

P1050183玄米をさらにおいしくなのか、できるだけおいしくなのかはわからないが、おいしく食べる工夫もそれなりにがんばっている。写真は黒米と炊いた玄米。これはおいしく食べる、というよりは、奇を衒っただけという気もしないでもないが、黒米と食べれば健康にいいことをしている気になれる度合い3割増しです(笑)。

P1050195何度も言及している「キット」には「玄米チャーハン」なるメニューもあったので、炒飯も試してみた。写真は梅と椎茸の炒飯。マクロビしばりだと玉子が使えないので、上手にぱらぱらになるかななどと心配したが、要らぬ心配だった。玄米がふっくら炊きあがらない方が炒飯には向いていたりして(笑)。炒め油も極力減らそうということで、炊くときに少しだけ油を足して炊き、炒めるときには油を足さずにチタンの中華鍋で炒めた。肝心の味のほうはなかなかで、それで思ったのは、玄米は炒めるという調理法、あるいは油と相性がいいのかな、ということ。炒めて食べるとなると、いろいろ具材の可能性も広がるわけで、これはなかなか面白いかもしれない。

P1050248これはひじきと竹輪で炊きこんだごはん。これもなかなか美味しいのだが、ひじき自体油で炒めて炊くものだから、やはり玄米は油と相性がいいのかも。ちなみに竹輪は先日Iがお土産にくれた宇和島の「牛鬼ちくわ」。また遠くのものを使ってしまいましたが、これも旨いです(笑)。

P1050249玄米を上手に炊くことができるようになってくると、プレーンの玄米も悪くはない。いろいろ試してからプレーンの玄米が美味しかったりすると、たしかに玄米旨いかも、などと思ってしまう。写真のように、いつもは家で漬けた糠漬けと食べるのだが、さっきの梅チャーハンではないが、梅干しもよく合う。ただし梅干しは陰陽的にはかなり陽性。陽性体質の僕が梅干し好きなのはマクロビ的には間違い?(笑) 陰陽といえば、上の二つの味噌汁は豆腐のお味噌汁だけど、味噌は陽性、豆腐は陰性なので、マクロビ的には味噌汁の具には豆腐がよろしいようで。

P1050544P1050553最初は炊飯器で炊いてみたり、ふつうに羽釜で炊いてみたりしていたのだが、最近はこんな感じで炊いてます。濡れ布巾で穴をふさいで、さらに1kgの重石。強火で沸かして、それから1時間ぐらい火を通す。最後に水気を飛ばして、15分ぐらい蒸らしたらできあがり。こうするとかなりふっくら炊けます。ふっくら炊けると、たしかに香ばしい香りを味わいながら漬物だけで食べるのもよし。なかなか奥深いですね。もうちょっといろいろ試してみます。

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2006.12.23

スープの話

P1050163以前に紹介した8日間セットでは、ランチは1食250gの「あまい野菜のスープ」のみ。南瓜や人参や玉ねぎ、キャベツが入っているらしい。動物系のだしを使わずに旨みのあるスープをということになると、当然野菜に頼らないといけないわけだから、甘味の強い野菜を使うのはわからないではない。なかなかハードルが高そうだったので僕も挑戦。一食分の腹の足しになってくれないと困るからということもあって(僕はべつにダイエットが目的じゃないけれど)、豆のスープにしてみた。入っているのは、ガルバンゾ、大麦(いつも麦ごはんなんかにするやつ)、玉ねぎ、人参、小蕪、トマト、舞茸。だしはちょっと変かなと思いながら昆布だしを使ったのだが、水でもいけるぐらい野菜から旨みが出た。煮物は冷める間に味が滲みるとよくいうが、今回気付いたのは、野菜の旨みも冷める間によく出るのだということ。玉ねぎならきつね色になるまで炒める、その他香味野菜ならシュエするなど、野菜の旨みを引きだす方法はいろいろあるが、普通に煮て一度冷めただけでこれだけ旨みが出るのか、というのには新鮮な驚き。

P1050198調子に乗ってもう一つ作ってみたのがこのスープ。こっちは、椎茸、白菜、蕪、それからグリルした下仁田葱。今度は和風のつもりなのだけれど、葱から思いのほか旨みが出ていい感じ。ちょっと焦がしてしまったので色がついているが(これも冷める間の話)、醤油は薄め。下仁田葱はもうちょっと考えて、あのじゅるっとした感覚を味わえるようにしてみたいなあ。

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2006.12.21

身土不二

マクロビオティックのもう一つの大きなコンセプトが、身土不二(しんどふじ)である。人間の体と土地は二つではない、つまりきっても切れないものであるということをいったもので、それゆえ、できるだけ自分が住んでいるところから近いところでとれた食べ物を食べなさいと説かれる。明治時代にはすでに、自分の家を中心とする四里四方でとれた旬のものを食べよとの食養道の教えがあったのだという。この「身土不二」が、マクロビオティックなどとは根本的に根っこの違う地産地消運動のスローガンになったりなどといった面白いエピソードもあるようだが、それについてはまたいつか考えることにして、今日はこの概念の今日性についてだけ考えてみたい。この「身土不二」という概念が、それを提唱する人たちの真の意図が何であるかは別として、僕たち現代人の大部分にとって、自給自足の時代、すべての人々が近所でとれたものを食べるのがあたりまえだった時代へのノスタルジーとしての価値をもつことは間違いないだろう。それともう一つ、身土不二というコンセプトは、このノスタルジーとは並行していながら少しずれ対置にある、現代の「土地神話」とも呼ぶべきものと共鳴しあっている。ここで土地神話といっているのは、レストランやスーパーでありとあらゆる食材に産地が記載され、ワインを語るときにはかならず「テロワール」という語が使われる現代の状況のことだ(なるほどテロワールは、ワインを語る上で欠かせない概念だけれど、ここまでテロワールの話を好むのは日本人特有のことだと思う)。僕が抱いているナイーヴな食文化観は、およそ食文化というものは、食における「自然」的側面を食べ物自体からいったん切り離すことによって進歩してきたというものだが、自給自足時代へのノスタルジーも、土地神話も、食が自然と切り離される以前の時代を志向するという意味では通底している。僕たちの食をめぐる環境は、それこそ農作物の生産、輸送、保存にかかわるテクノロジーの発達や、国外の農作物生産国との関係の変化によって大きく変化しつつある。その中であらためて浮上したのが自給自足願望であり、土地神話である。僕たちは何かを失ったと無意識のうちに考えているけれど、僕たちはその「何か」の幻影を身土不二の「土」の字に見ているのではないか。

P1050160いまいち話がまとまらないので、料理の話。お粥といえば茶粥、茶粥といえば碁石茶の粥である。玄米で炊いてもとてもおいしい。おかずは、刻み昆布に、北海道の岩海苔、そしていつもの日の菜と自家製胡瓜の糠漬け。高知のお茶でお粥を炊いて、北海道の岩海苔で……なんて身土不二的には0点だね(笑)。

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2006.12.20

一物全体

なぜマクロビオティックで玄米が好まれるかというと、それは栄養があるからなどといった科学的な理由によるだけではなく、食物はその全体を丸ごと食べなくてはならないとする、「一物全体[いちぶつぜんたい]」という哲学的ともいえるコンセプトがあるからだ。だったら籾殻はどうなんだよと思わないでもないが(笑)、それはおいておくことにして、とにかくそういう理由で、表面の糠を取りのぞいた白米ではなく玄米が好まれるわけである。同様の理由から、骨、頭などを捨てなくてはいけない大型魚よりも、丸ごと食べることのできる小魚が好まれるのだとか。五訂増補日本食品標準成分表を見てみると、丸ごと食べるカタクチイワシと、マグロの赤身とではカルシウムの含有量はじつに10倍以上の開きがある。健康言説のなかでくり返されていることではあるが、「丸ごと」にはある意味(カギ括弧つきの)「理」があるのかもしれない。ただしマクロビオティックの言説のなかでは、この「一物全体」という発想がこういった栄養学的観点から正当化されることはあまりないようである。これはじつに面白いことである。マクロビオティックでは丸ごと食べるから野菜はできるだけ農薬を使ってないものを食べましょう、と推奨されることである。農薬を使った野菜は体によくはありません、農薬を使っていない野菜ならば丸ごと皮の栄養まで摂ることができます、でもなければ、最近では農薬をつかった野菜が多いので皮を食べるのは止めましょう、でもないのである。丸ごと食べるという概念、つまり「一物全体」という思想がまずあって、それを守るためには無農薬でなくてはならない、といった勢いなのである。つまり一物全体は定理や公式ではなく、まさに「公理」なのである。これも先の陰陽と同じく、まずは実践してみなくてはならない。

P1050148一物全体的にいえば、皮ごと食べるむかごなんかはとてもマクロビ的な食べ物だったりするのかしら、ということでむかご玄米ごはん。ちなみに、陰陽の観点からいえば、長芋は、里芋、さつまいも、じゃがいもなどと同じく陰性の食べ物だが、自然薯は陽性の食べ物である。自然薯の子供であるむかごはやっぱり陽性なのかしら。隣のお椀は、納豆と豆腐の味噌汁。味噌は陽性、豆腐、納豆は陰性だから、これはこれでバランスがとれているのかな? 食べあわせ的には納豆のお味噌汁というのはタンパク質もたっぷりととれて、菜食にはもってこいだと思うのだけど。

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2006.12.19

陰と陽

マクロビオティックについてちょっと書いたら、ほんの1日半ぐらいの間に4件もトラックバックが。どれも検索エンジンと連動した自動送信のものだとは思うが、健康食やダイエットがいかに大きなマーケットとなっているかを物語っているとみて間違いないだろう。

閑話休題。すでに触れたように、マクロビオティックでは、それぞれの食物を陰から陽にいたるひとつのスペクトルの中に位置づけることによって、それらの食べあわせその他を考える。例えば茄子やトマトは強い陰性の食物であり、逆に梅干や味噌は強い陽性の食べ物であるとされる。一方、われわれがマクロビと聞いて真っ先に思い浮かべる玄米は、同じ穀物の小麦粉、白菜や大根、あるいは昆布、若布などの海藻類とともに、陰性と陽性のちょうど中間、中庸にある食べ物だとされる。このスペクトルに、光のスペクトルが重ね合わされ(紫外線側が陰、赤外線側が陽)、さらには五味のスペクトルが陰から陽へ、辛、酸、甘、鹹、苦の順で重ね合わされる。光(色)でいえば、緑、白が、味でいえば甘いのが中庸である。色、味以外の食物の性状もまた、暑い/寒いところで育つ、背が高い/低い、大きい/小さい、水分が多い/少ない、カリウム/ナトリウムを多く含むといった具合に、きれいに二項対立で整理される。一見したところじつに美しい分類なのだが、よくよく考えてみると、これは、ボルヘスが紹介した(そしてフーコーが言及した)中国の百科事典のような分類だ。例えば、黄色く甘い野菜であり、ナトリウムに比してカリウムを大変多く含むカボチャは、陰性だろうか、陽性だろうか。実際にはカボチャは、中庸よりやや陽性より、手許の陰陽表では黄色の列に分類されている。しかしこのような不可解さをもって食物における陰陽の考え方を批判するのは筋違いである。もしも陰陽ないしはマクロビオティックを、科学を超える/とは無縁なものとして理解しようとするのであれば、ある食物がもつ物理学的、化学的、生物学的な属性、つまり色が何色であるとか、カリウムをどれだけ含むであるとか、どのような土地で育つものであるとか行ったことと、陰/陽というカテゴリーとが一致しないことに何ら不思議はないのだから。その理由が何であれ、カボチャはやや陽性よりの食べ物で、茄子は極めて陰性の食べ物なのである。そういうカテゴリーがあること自体はいかなる批判の対象ともならない。問題は、そのカテゴリーがいかに機能するか、それだけなのである。

P1050141先述のキットでは、朝ごはんは毎日玄米粥。うちでも粥を炊いてみた。玄米だから白粥というのもおかしいが、プレーン粥。玄米だから、一晩水に浸しておいてもふつうの粥より炊きあがるまでに時間がかかる。朝玄米の粥を炊いて、というのはあまり現実的ではないかな? おかず(?)は、山椒の炊いたん、先日の腐乳、日の菜の漬物、茄子の糠漬け。この辺はマクロビ的にはどうなのかな?

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2006.12.18

マクロビオティックを考える

先日の北海道の帰りの飛行機で、機内販売、通販のカタログをぱらぱらと見ていると、マクロビオティックに基づく8日分のダイエット・フードが目にとまった。マクロビオティックについては、玄米食中心の健康を目指した食事法、程度の認識しかなかった。以前に一度酔っぱらって入ったコンビニでなぜかマクロビにかんするムックを買ったことがあり、この本がおもに玄米食のレシピを扱ったものだったのだ。機内誌のメニューを見ていると、マクロビで食べてよいとされているもの、書かれてはないが避けられているもの(書かれていないのはマクロビのメニューを読んでいるのだからあたりまえなのだ)が大ざっぱながら見えてきた。値段を見ると8日分で28,000円。高い!(帰ってから楽天で同じものを探すと、もう少し安く帰るようではある) 言っては悪いが、こんな粗食8日分に28,000円も払うのかと思うと、それほどダイエットに興味があるわけではないのだが、自分で作ってみようかなという気持ちがふつふつと沸いてきた。弁当でも何でもそうだが、「ルール」を課せられた料理は、僕にとってはそれはそれで楽しいものなのである。そんなわけで、京都に戻ってからのこの一週間。にわかにマクロビのお勉強。お勉強しながら自分なりにレシピを考えた成果はおいおい紹介させていただくとして、今日はマクロビオティックなるものについて僕が今の時点で漠然と考えていることをちょっと書いてみよう。

マクロビをめぐって僕の興味を一番惹くのは、その反-科学性である。もちろんここで、反-科学的という言葉には、価値判断は一切込められていない。反-科学的というのは、たんに、僕たち現代人が漠然と「正しい」と思っている現代科学と認識の枠組みがずれているということである。それを非科学的だといって拒絶することはあまりに簡単だけれど、それではマクロビについて考えたことにはちっともならない。もうちょっとその認識の枠組みのなかに入りこんで考えることによって、マクロビオティックというよりは、食べるということ、そして食べるということについて僕たちがふだんどんなことをどんなふうに考えているかがわかるんじゃないかと思うのだ。大げさにいえば、レヴィ=ストロース的なマクロビないしは食文化へのアプローチである。マクロビを非科学的であると断罪することは、未知の文化を「未開」と呼んで相手にしないことに等しい。そしてレヴィ=ストロースがいうように、一見生物学的と思われる対象が自然と離れる瞬間にこそ文化が生まれるのである。食が自然と離れる瞬間を見極めたいのなら、自然を「正しく」見せてくれるはずの「科学」という眼鏡もあてにはできない。レヴィ=ストロースは週末しかフィールドに出かけなかった人類学者だが、そんな彼をお手本に、僕も自宅の台所でマクロビオティックのことを考えてみようと思うのだ。

P1050134初めて作ったマクロビごはんはこれ。若布玄米ごはんと豆腐と若布のお味噌汁。マクロビオティックでは、食物を陰と陽、二つの極の間に位置づけて食べあわせを考えるが、このスペクトルの中では玄米も中庸だし、若布などの海藻類も中庸。理論的には、若布玄米ごはんはとてもニュートラルなメニューということになる。機内のカタログのメニューには混ぜ玄米ごはんが多く採用されていたのだが、こんなことを考えて若布玄米ごはんを炊いてみた。またマクロビオティックでは、調味料も伝統的なもの、天然由来のものは一切制限されないようである(逆に精製された白砂糖、精製塩、化学調味料は嫌われる)。味噌がOKなのは嬉しい限り。肉類はNGなので、豆腐でタンパク質を、と考えてみたのだが。</p>

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