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2006.08.31

ふぐの子の糠漬のこと

P1040095僕にとってはこれもやはり、小泉武夫さんの本で初めてその存在を知った醗酵食品なのだが、皆さんはふぐの糠漬けというのをご存じだろうか。ふぐを糠漬けにしただけであれば、たとえばへしこ(鯖の糠漬け)などと同じなのだが、今回食べてみたのは、ふぐの真子(卵巣)の糠漬けである。真子といえばもちろんテトラドトキシンを多く含む、ふつうには絶対食べられない部位なのだが、これを糠漬けにすると微生物の力で毒素が分解されるのだ。これが石川県の郷土料理、ふぐの子の糠漬けである。僕が買ったものは、塩蔵一年、糠漬一〜二年というもの。
 表面の糠を落とすと、ちょっと立派な鱈の子、といった感じの真子が姿を見せる。これを薄切りにしたものが写真である。長期間塩、糠に漬けられていただけあって、中はしっとりというわけにはもちろんいかないのだが、卵の粒はぷりぷりしておりなかなかおもしろい食感である。正直にいうと、ふぐらしさは感じない。むしろ、毒をもったふぐの真子でなければ誰もこれだけ長いこと漬けこもうとは思わなかっただろうということを思いながら食べるべきであろう。三年ものの魚卵、というのはなかなかお目にかかれないのだから。
 今回初めて知ったのだが、ふぐ毒の量は「MU」という単位で計るのだそうである。「MU」とは「mouse unit」のことで、体重20gのマウスを30分で死に至らしめるふぐ毒が、「1MU」。ただし食品衛生法上は、ふぐ卵巣加工品は10MU/g以下であれば人体に無害、といった具合に毒の量ではなく濃度で規制が行われているらしい。今回僕が買った真子の糠漬けのふぐ毒含濃度は、その規定を下回る5MU/g未満。「未満」を「ちょうど」と仮定すれば、単純計算ではこの真子1gあたりにはマウスを5匹、昇天させてしまうだけのテトラドトキシンが含まれているわけである。これを聞いたら、そんなに毒が含まれているのだと知ったらきっときーきーいいだす人がいるに違いない。そんなことを考えながら、真子を肴に酒を飲むのも悪くない。

P1040097この日のごはんは、先日の干し納豆の炊き込みごはんとお味噌汁。けっこうファーメンティッドな朝ごはん。今度はぜひともお茶漬けにしてみたいな。

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2006.08.28

マスコット「いろいろ野菜&豆 ビーンズカレー」を食べる

Mascot_beans_curryP1020991これを食べたのはもう一ヶ月以上も前、九州方面に旅行に出かける前のこと。吉田(仮)さんにいただいたレトルトのかたわれである。吉田(仮)さんもどなたかにいただいたものだそうで、豆々しいのでどうぞ、とのことだったのだが、写真でわかるだろうか、ほんとうに豆々しいのである。以前にも書いたことがあるかもしれないが、僕は炭水化物をおかずに炭水化物を食べることにはなんだか違和感があるのだが、カレーの場合は例外で、原則としては豆入りカレーも好きである。しかしこのカレー、ガルバンゾ、赤インゲン、レンズ豆からなる豆成分も多ければ野菜もたっぷり。ここまで来るとほとんどごはんはいらないのではという感じ。パッケージの裏を見ると「ごはんにも パスタにも」と書いてあるのだが、ごはんもパスタもなしで、単体で食べるのが一番おいしいのではないかしら。豆が好きな方に是非ともおすすめしたい一品。

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家人の入院

P1040076一部ではすでにご心配頂いているのだが、先々週の日曜日から家人が扁桃腺炎で入院している。当初は本人も周囲も、なんだ扁桃腺か、ぐらいに思っていたのだが、これがなかなか厄介な病気で、40℃近い熱が何日も続く。ようやく峠を越し、退院日も明日29日と決まったのでここで報告させて頂いている次第。ご心配頂いた皆さん、本当にありがとうございました。
 半年ほど前にインフルエンザで家人が寝込んだときは、嬉しがって病人食を作ったりもしたが、今回は病院の食事があるし、そもそも扁桃腺が腫れあがっているので堅いものは痛くて喉を通らないのである。病院では毎食お粥と聞いていたので、ごはんの供を持参。一番左は家人が自分で作ったちりめん山椒である。

P1040102あとは自家製ジュース。グレープフルーツ、ぶどう、桃をフードプロセッサにかけてみたのだが、なかなか難しい。グレープフルーツは僕にとってはちょうどいい感じに仕上がったのだが、喉を患っている家人にはやはり滲みるようだし、桃は買ってきたものがぜんぜん熟しておらず△。ぶどうは、ワインの醸造にも使われるベリーA種なのだが、種なしと書いてあるのに種がある。しょうがないので、ちょっとだけフードプロセッサーで回して手作業で圧搾。ワイン作りって大変なんだなと実感した次第。

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2006.08.27

ムール貝

P1030952夏が近づくとかならず食べたくなるものがいくつかある。ムール貝もその一つ。ヨーロッパでは夏の風物詩、というのはだいぶ昔から知っていたような気がするが、四年前の7月、ベルギーで「本物」をいただき本格的に開眼。そうはいいながらも去年はさぼったような気がするが、今年は満を持してムールを注文した。今回頼んだのは、これまでにも何度かお願いしたことのある、フランスはモン・サン=ミシェルのムール。僕の個人的な意見としては、国産のムールに比べるとヨーロッパ産のムールのほうがたとえ身は小さくとも格段濃いだしが出るという気がする。ヨーロッパのどこのムールが美味しいのかというと、これにはおもしろい話があって、ベルギーの人は、かわいそうに、フランス人は本物のムール貝を知らないなんて、というのだそうだ。それに対してフランス在住歴の長いある方は、そんなベルギーのムールなんて、あんな下水みたいなとこにすんでるもんよう食べはるわ、といっておられた。僕は基本的にはどっちも好きです(笑)。 P1030946二年前だろうか、三年前だろうか、一緒にうちでムール貝を食べないかとフランス人の悪友Bを誘ったら、作り方は?、と訊かれた。ようは、正しいムール貝の調理法をお前は知っているのか、というわけだ。ベルギーでムールを食べた経験があったから、こうこうこうして、こうするつもりだと説明すると、それは正しいね、とお墨付きをもらった(笑)。今年はたまたま直前にフレンチ・レストラン、ル・Bに行ったので、正調のムール貝のワイン蒸しの調理法をMシェフに訊いてみた。どうやら、エシャロット以外の野菜は使わない、白ワイン以外の水分は使わない、という二点で僕のやり方は間違っていたようだった。旨味という点では、ムール貝自体を別にすればもちろんエシャロットが決め手。今年は運よくムールと一緒にエシャロットも手に入った。 P1030950P1030947気持ち的にはムールがメインだが、料理的にはやはり前菜だろう。でもせっかくムールを食べるのだからメインは魚がいいなあと、魚を物色していたときに見つけたのがこの石鯛。メインにするには小さいなと思っていたところで、もうちょっとメインらしい魚を見つけたので、石鯛クンにはカルパッチョになってもらった。癖のある魚だというが、薄く造ると味と食感のしっかりした鯛、という感じ。醤油で食べてこそ、という意味では、こんなレモンと一緒に食べる食べ方はもったいないのかもしれないが、それなりには石鯛ならでは、という味だったのではないかな。 P1030955そしてムール。身の橙色が艶めかしい。ちょっと水分が多すぎた気もするが上々のできばえ。1.4kgのムールを2回に分けて調理した。最初はMシェフの仰るとおりエシャロットだけでやってみたのだが、なんか物足りないとの声もあり、二回目はセロリの葉っぱを入れてみた。奥のポン・フリは家人が揚げたもの。例によって「ドイツ人の魂」と訳のわからないことをつぶやきながら、水分を吸わせたジャガイモをなんと一本一本水分をぬぐっていたが、びっくりするほど美味しかった。だけどポイントは一本一本水分をとることではなく、二度揚げしてきちんと水分を飛ばすことと揚げたジャガイモを紙(新聞紙でも何でもよい)の筒の中で塩と一緒にしゃかしゃかやって、余分な油分をしっかり取り、かつ塩分を均等に行きわたらせることかと。 P1030959そして最後に、あまり美味しそうに写っていないが、鯛のアクア・パッツァと浅蜊のリゾット。ここら辺になるともう僕も酔っぱらっていてきちんと料理ができていないのだけれど、アルコール漬けの記憶の中ではなかなか美味しかった。リゾットにしたのはいつものイタリア米。長粒種ではないのだが、さらっと仕上がりいい感じ。サフランを忘れたのは大失態だったけれど……。
P1040011ムールということで、家人や僕が準備したワインも、Bが買ってきてくれたワインも白がほとんど。どれもおいしかったのだが、自分が用意したものだけ紹介させて頂くと、Saint-Véran: Bouchard Père et Fils 2003、これはムールにぴったりだった。ムールにブルゴーニュというのはちょっとずれた感覚かもしれないが、サン=ヴェラン、それも何を造っても上手にまとめるブシャールならば、というつもりだったのだが、これはなかなかの組みあわせ。ごちそうさまでした。

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2006.08.24

鮒寿司のこと

醗酵の話を書き始め快調に数日を送ったものの、お盆明けからあっという間に忙しくなり更新が滞ってしまった。そのお盆明けの数日間、昼下がりから晩の時間を、四日間、彦根で過ごした。彦根で過ごす時間の間も、始めたばかりの醗酵ネタのことがどうしても気になる。だとすれば、彦根で探すべきものは一つしかないだろう。そう、鮒鮓である。

最高の老舗を教えてくれそうな人もおらず、駅前のスーパーで売っているものを買うのも何となく気が引けた。最初はうまいものを食べるべきだとはいつも自分が人に偉そうにいっていることだからである。じつは僕は鮒鮓を食べたことがなく、世間の人が鮒鮓に浴びせかける罵詈雑言のことを考えると、さすがに僕も「はずれ」を引いたら好きになれないのではないかという心配もあった。そんな話をI師匠にすると、I師匠、くだんの駅前のスーパーに鮒鮓を卸していたのはI師匠の知り合いだという。昔の話だし、そこの鮒鮓を食べたわけではないし、と断りながら、I氏はそのご友人が用意してくれた料理のことを美味しそうに話してくれる。ならば話は早いではないか。早速翌日駅前のスーパーで鮒鮓を求めた。

P1040091スーパーとはいえ、鮒鮓が四種も用意されているのはさすがは湖国の都、彦根ならではである。一尾丸ごとのものが子持ちとそうでないものの二種、スライスされているものが大、小二種。いささか自信がなかった僕は、一番安い、スライスの小を買った。プラスチックの容器に薄切りの鮒鮓が放射状に盛られ、真空包装の上からさらにラップをかけてある。そんなにくさいのだろうかと思いきや、真空包装をあけてもそれほどのにおいはしない。よくいわれるように酸っぱいにおいはしているが、これを「くさい」と思う人間からは一生醗酵食品を食べる権利を剥奪してもよかろうと思うぐらいのマイルドなにおいである。塩分により水分を奪われ発酵の過程でかろうじて球形を保った米粒は、ぼろっと崩れ水分の少ないチーズを思わせるが、果たして味もそうである。これまで僕が食べた醗酵食品の中でいうならば、ペコリーノ・ロマーノに一番近いのではないか。身の方もいただくとこれがまた旨い。旨味が凝縮されている、と感じてしまうのは水分が少ない保存食品に共通の特徴なだけであって、本当は長い醗酵の過程をつうじタンパク質が分解され旨味になっているのだとつくづく実感する味である。魚と肉の違いはもちろん感じるけれど、干し肉になる寸前まで水分を搾り取られたハムの旨味に近いものがある。皮に、あるいは身に、というのではなく、そこはかとなく魚のにおいは感じるが、けっして川魚がよくいわれるような泥臭さではけっしてない(そもそも川魚のすべてがどろくさいわけではない)。子よりもむしろ身の方が旨味は強く、通は子持ちを選ばないというのも何となくだがわかるような気がする。酒が進むのはもちろんだが、通はこの鮒鮓の飯でお茶漬けをするのだと聞いた。さぞかし美味しいスープになることだろう。

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2006.08.18

乾燥納豆のこと

P1040026納豆の話が続いて恐縮なのだが、最近作ってみた乾燥納豆の話を少しだけ。作ってみようと思うきっかけとなったのは、以前にも紹介した小泉武夫先生の『発酵は力なり』であった。この本によればそのレシピは至って簡単で、天日で干した大葉を揉みほぐしたもの、片栗粉、塩を納豆とよく混ぜ、これを天日で4〜5日干し、こうして乾燥した納豆にさらに片栗粉をまぶして保存する、というだけのもの。量としては、納豆10パックに対して大葉が10枚、塩小さじ2〜3、片栗粉は干す前、干した後にそれぞれ小さじ1とある。写真はほぼこのレシピに従い、5日間干した納豆2パック分。においは多少は飛んでしまうのかしらなどと思っていたが、飛んでなくなるどころかむしろ凝縮されている。鼻を刺すような強いにおいがするわけではもちろんないのだが、よく嗅いでみると人間の体臭にも近いようなにおいがするのである。

P1040055小泉先生はたとえば一ヶ月の海外出張があるとこの乾燥納豆を4kgも持参されるらしい。乾燥状態で4kgだとしたら原材料の納豆いったい何kg?、などと気になってしまうのだが、それが食中毒などから体を守ってくれるのだという。たしかにぽりぽりやってもうまいのだが、ほかに何か美味しい食べ方はないのだろうか、味噌汁に入れてみるぐらいかなあ(当初はこれを一番の目標に考えていた)、などと思っていたら、同じく小泉先生の『発酵レストラン』に発芽玄米の乾燥納豆の炊き込みごはんが紹介されているのを目にした。それで早速試してみたのが写真のごはんである。一晩水につけた三分づきの玄米に乾燥納豆を加え、薄口醤油、塩、酒、砂糖少々と昆布で炊き込んでみた。『発酵レストラン』で紹介されていたのは、さる料亭での料理のしめに出てきた納豆の炊き込みごはんで、見た目も美しくいくらが添えられていた。そこまで真似するのも気が引けると思い、細く刻んだ昆布の佃煮をのせてみたのだが、これがいける。ごはんには納豆のうまみが染み渡り(干す前に納豆を「よく混ぜろ」と書いてあったのはこのためだったのだ!)、納豆ごはんだけに赤だしとの相性も抜群。これはすばらしいと感服次第。

P1040063ちなみにこの日のおかずは大間の鮪。この納豆ごはん、濃口の醤油をちょっとつけた刺身ともじつにぴったり合ってくれる。皆さんにも是非ともお試しいただきたいのだが、天日干しの際にはご近所で異臭騒ぎなどにならぬようくれぐれもお気をつけ遊ばせ。

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2006.08.17

塩納豆のこと

P1020504納豆を食べ出したのはいくつぐらいのことだっただろうか。はっきりしたことは覚えていないのだが、不思議なことに、子供の僕は納豆を与えられず親が納豆を食べるのを見ていたという記憶はなく、恐るおそる自分の箸で納豆をかき混ぜたところから納豆の記憶が始まっている。よほど早いうちから納豆を食べていたのかもしれないし、自分の好き嫌いはひた隠しにして子供には好き嫌いはだめよと教える傾向のあった親だから、ひょっとすると家で納豆を食べていたのは僕だけだったのかもしれない。いずれにせよ僕には納豆をいやだと思った記憶は一切なく、初めて食べたそのときから納豆が大好きだった。においの強いものが多い醗酵食品には、人によって好き嫌いがはっきりと分かれるものが多い。しかし納豆の好き嫌いほど頻繁に、かつ至るところで語られる「好き嫌い」はないことを考えると、やはり納豆は日本人に愛されているのだなと思う。事実、一番簡単に手に入る一番くさい醗酵食品が納豆である。写真の納豆は数ヶ月前のある日、塩納豆って納豆を見つけたよと家人が大阪の百貨店から買って帰ったものである。温かいごはんにのせてもいけそうだが、こうして豆腐にのせても、豆腐のつるっとした食感と納豆のにゅるっとした食感とが絡みあいとても美味しい。大豆でできたものどうしのせいか、一般的にも豆腐と納豆は相性がいいように思う。

このときは塩納豆って何だろうということは、なぜかあまり深くは考えなかった。その後、小泉武夫氏の『発酵は力なり』を読み、納豆にはいわゆる納豆(糸引き納豆)と、塩納豆の二種類があり、前者は藁などについている納豆菌(枯草菌の一種、Bacillus subtilis var. natto)で大豆を醗酵させたもので、浜納豆、寺納豆ともいわれる後者は麹菌(麹菌の中でも『もやしもん』でおなじみの、A・オリゼー)によって醗酵させた大豆を乾燥、熟成したものであることを知った。僕が食べた塩納豆にはたしかに麹が入っていたが、乾燥はしていないから、両者の中間のようなものかなと勝手に想像していたのだが、今回調べてみて、僕が食べた塩納豆は、いわゆる塩納豆はぜんぜん違うものだとわかった。考えてみれば寺納豆といえば京都では大徳寺納豆、中国料理で使う豆鼓を説明するときに必ず引きあいに出されるあの納豆と同じものであるはずがない。調べてわかったのは、このぬるぬるでつるつるの塩納豆は、山形県酒田市で伝統的に作られているもので、秋、米の収穫の後に稲刈りで出た藁を使って仕込んだ納豆を、冬の間の保存を目的に、米麹、昆布などともう一度仕込んだものなのだそうだ。それが商品化され、テレビなどでも紹介されたためちょっとしたブームを呼んでいるのだそうである。なるほどこれで合点がいったが、こんなことを書いているうちにこの塩納豆、自分で仕込んでみたくなったのだが。

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2006.08.16

碁石茶のこと

大部分の日本人にとってお茶はとてもなじみのある飲み物だが、ちょっと細かいことを聞かれると案外知らないのがお茶である。たとえば、煎茶と番茶とほうじ茶の違いを聞かれたら正しく答えられるだろうか。ほうじ茶を飲んだ外国人に、見たところこれはグリーン・ティーではないようだがイギリスで飲んでいる紅茶と同じように作られているのか、と問われたら? 僕が育った家庭は、何かといえばじゃあお茶にしますか、という家だった。ごはんを食べてはお茶、一仕事してはお茶、テレビをつけてはお茶。おもしろいのはイギリスにもやっぱりこういう家庭があって、友人宅に数日滞在したときなどは、そこのお母様に一日何度も、めちゃめちゃブリットな発音で「Would you like a cup of tea?」と声をかけてもらったものだった。熱いミルク・ティーをいただきながら、テレビでブロックバスターズをみたり、クロスワードを解いたりするのである。イギリス人が無造作に淹れるミルク・ティーのおいしさに感激してからは、家でも紅茶三昧。実家にイギリス人の客人があるときは、父親はきまって僕を呼び寄せ紅茶を淹れさせた。うちの息子はあなたの国に行ってからというもの大の紅茶好きなのです、というのが嬉しくてしょうがないという様子だった。僕は僕で、立派なイギリス紳士に、「This is exactly what we call a perfect cup of tea.」などと褒められると、お世辞とわかってはいながらもそれはそれで嬉しいものだった。そんなわけで、お茶とは親しくつきあってきたつもりではあったのだが、最近になり自分はお茶のことなど何もわかっていなかったのだと思い知らされた。 まず、烏龍茶は半醗酵茶、紅茶は全醗酵茶、などというときの「醗酵」の意味である。烏龍茶や紅茶の茶葉の「醗酵」は、いわゆる「醗酵」ではないのだそうだ。茶葉に元々含まれていた酵素が醗酵に似た働きをするのを「醗酵」と呼んでいるだけで、そこに微生物は関与していない。緑茶が醗酵していないのは茶葉を収穫後すぐに蒸すなどして酵素を失活させるからだが(この過程を殺青と呼ぶのだそうだ)、これと同じ処理をした茶葉を麹菌などの微生物で後から醗酵させるお茶がある。その代表的なものが中国は雲南省の普洱茶(プーアル茶)である。このような製法で作られたお茶を後醗酵茶というのだそうだが、日本に今でも昔からの製法で作られる後醗酵茶があると、小泉武夫の『醗酵は力なり』を読んで知った。高知の碁石茶というお茶である。インターネットで調べてみるとどうやら簡単に取り寄せることができるらしい。クリック一つで幻のお茶が手にはいるかと思うといてもたってもいられなくなり、早速取り寄せてみた。

P1030934あちらこちらにわかに読み漁った話をまとめると、碁石茶の製造過程にはカビなどの好気性菌による醗酵と乳酸菌による嫌気醗酵が関与している。茶葉は写真のように何枚かがかたまりになっており、これが輸送の途中などに角が落ちて碁石のような楕円状になるから碁石茶なのだそうだ。茶葉のままの状態だとたしかに普洱茶にも似た香りがしているのだが、じっさいに淹れて飲んでみると、独特の酸味があり、とても変わった風味である。果実の酸味とも酢酸などの酸味とも違うから、何にもたとえようのない、酸味のような刺激を感じるとしかいえないような、微妙な酸味なのだ。

P1030943小泉先生によればこの碁石茶は、地元よりもむしろ香川県の塩飽諸島で茶粥用の需要があったお茶なのだそうである。碁石茶で茶粥を試してみると、「あっという間に、どんぶり二杯の茶粥が胃袋にすっ飛んで入っていった」とのこと。早速うちでも試してみたのだが、なるほど、これはたしかに旨い。自分自身も酸味をもっており塩味と相性のよいこの碁石茶、もはや茶で粥を炊いたという印象はなく、こういうスープで炊く粥をいただいているという感じ。恐れ入りました。

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2006.08.15

チーズのこと

P1030913もう10年以上も前のことだろうか、フランス人はディナーのあとにチーズを食べるのだと聞き、僕はたいそうびっくりした。酒の肴として食べるのでもなく、食事の前の方で前菜的に食べるのでもなく、食事でいっぱいになったお腹に、さらに乳製品を詰め込むというのが驚きだった。人に話すと、日本人が漬け物を食べるような感覚なのだとまことしやかにいう人もいた。たしかにチーズも、大部分の漬け物と同じ、乳酸菌の力を借りて作られる醗酵食品ではあるが、僕にはたとえば懐石料理の最後にごはんに添えられて香の物が出てくるのと、フランス料理を腹一杯いただいたあとにチーズを食べることは、まったく次元の違う行為に思えてならなかった。しかし習慣というのは恐ろしいもので、その後それなりのフランス料理やイタリア料理を自分の金で食べに出かけることができるようになり、あちらこちらで食べ歩きをくりかえすうちに、ディナーの終わりが近づくと今日はどんなチーズに出会えるのだろうとついつい期待してしまう体になった。おいしいチーズが最高の状態で並んでいるチーズ・プラッターは、間違いなくそのレストランの魅力の一つとなる。思えばチーズに「状態」があるということですら、プロセス・チーズしか食べたことがなかったころには知らなかったことである。ワインについても同じことがよく言われるが、チーズは工業製品ではなく農産物なのだとつくづく思う。ラップで包もうと、冷蔵庫に入れようと、チーズは生きているのである。

チーズの世界がこれほどまでに広く、そして奥深いものであったということも驚きだったが、くせの強いチーズを自分自身がこれほどまでに好きになったということも以外といえば意外なことだった。僕も人並みに最初は白カビを気に入り、そして青カビ、やがてはウォッシュ、シェーヴルと好みが変遷していった。もちろん苦手を克服すべく努力しているわけではないので、自分にとってはあくまでも自然な流れなのだが、ウォッシュやシェーヴルを、これは苦手、という人を見ると、あれ、もしかしておかしいのは僕かしら、などと思うこともある。大げさにいえば、自分がいかにくさい物好きであるかをチーズをとおして知ったとでもいえるだろうか。しかしこの「におい」こそがチーズの一番の魅力でもある。しばしば猥雑な喩え方をされるこのチーズのにおい、自称発酵仮面、小泉武夫氏も『くさいはうまい』の中でチーズを論じた一章を「チーズは猥褻である」と題し、「最も強烈で、その上ハッとするほどの個性を持ち、そしてたいがいの大人ならニヤリとするような猥褻な臭みを持った」ベルギーのリンブルガーに触れ、あるいは部下に寝鼻にチーズをかがされたナポレオンが「おお、ジョゼフィーヌ」といったとされるエピソードを紹介している。あるいは、ペネルなるドイツ人は「ミルクは生娘、バターは花嫁、チーズは女房」と残しているのだと。醗酵学者である小泉武夫がこれらのエピソードを紹介するにとどめているのは少し不思議だ。というのも人間のかの部位には乳酸菌が常在しており、チーズの乳酸菌が腐敗菌からチーズを守るのと同様、他の雑菌からその場所を守っているのである。においの類似は偶然ではないのかもしれない。いずれにせよにおいに惹かれ僕はチーズ好きになり、そのチーズに僕は、チーズに限らず食べ物全般において香りも味のうちということを教えてもらった。今回からしばらく醗酵食品のことを書いていこうと思うのだけれど、そういったわけで最初にふさわしいテーマといえばチーズしかないと思った。

さて、冒頭の写真は、先日はル・ベルクールで久しぶりにチーズをお腹一杯いただいたときのもの。おそらくは京都で一番おいしくチーズをいただけるレストランである。この日の目玉は上の方に小さく見えているカレ・ド・ヴィーニュCarré de Vigneというチーズ。ウォッシュ・タイプのシェーヴルだと聞き、即、お願いした。ウォッシュでシェーヴルだというからとてつもなくくせのあるチーズかと思いきや、二つの個性が調和して濃厚なチーズに仕上がったという感じだろうか。多くのチーズは自分の見かけが与える印象を裏切らないと僕は思っているのだが、このカレ・ド・ヴィーニュも見かけが期待させてくれるとおりの味だった。

そんなわけで、かもしネタ、しばらくおつきあいください。

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2006.08.14

幻の甘口醤油

P1030868先日の九州旅行の折、一番感銘を受けた食べ物の一つは、鹿児島や別府で出てきた甘口の醤油である。僕たちが慣れ親しんでいる辛口の醤油ももちろんあるのだが、刺身を出すたいていの店には甘口の醤油もおかれているのである。土佐醤油などのようにわかりやすい旨味がのせられているわけではなく、たんに「甘い」のだが、これが旨い。これは買って帰らねばということで別府でスーパーに寄ったのだが、「甘口」と書かれている醤油は売られていない。日本も買えばどちらかは、と思い買って帰ったのが写真の上の方に移っているもの。先日マグロ+ネギトロ丼を食べることになったので開けてみたのだが、どちらもはずれ。旨い醤油なのだが、甘口ではない。どっかで手に入らないものかしら。

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菫で床

P1030846先週は地獄のように忙しく、このブログも一度しか更新できなかった。一週間奴隷のように働いている間に、まるで昔の想い出のようになってしまったのだが、その前の週末にはすてきなお呼ばれがあった。I+Kご夫妻に、に招待していただいたのである。それも床。正直いうと僕は床が嫌い。冷房がなかった時代であれば川の上に床を出し、というのは暑い真夏に涼を求めての斬新な知恵だったのかもしれないが、最近の真夏の暑さ、それから母屋のエアコンがはき出す熱では、涼など求めるべくもないという気がするからだ。ただし菫の床だけは別。もともと広いスペースを贅沢に使っているから、ほんとうに風通しがよく、キリッと冷やした白ワインでもいただけば、この上なくすてきな晩ごはんになる。写真はいつものタラバガニ。

P1030848ワインは、Monte Tondo: Soave Classico 2003(だったかな?)に、Castell des Hospices Collioure 2000。I松さん、K村さん、すっかりごちそうになってしまい恐縮です。またご一緒してくださいね!

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2006.08.08

天使突抜第二次米飯強化計画(4)

P1030781ごはんの供といえばみなさん何を頭に思い浮かべるだろうか。僕が真っ先に思い浮かべるのは梅干(ちなみに次点は僅差で明太子である)。僕にとっておそらくは初めて好きになった酸っぱい食べ物である。高校生のころ、母親に朝ご飯代わりに弁当とは別におにぎりをもたせてもらっていたのだが、それの具も全部梅干し。とにかく梅干しが大好きなのである。それを知ってというわけではもちろんないのだが、家人が去年あたりから梅干しをつけている。家人の場合、梅干しに挑戦する前も毎年梅酒をつけていたから、梅の季節になると梅がどうも気になるらしい。しかし梅干しはなかなかハードルが高く、去年は見事に失敗。菌が見えないと菌がいないと思ってしまう彼女には「無菌操作」という概念がないようで、見事にカビだらけになってしまったのである。今年はどうやら無事に土用干しまでこぎつけた。旅行から帰ってさっそく三日三晩の土用干し。

P1030800干したての梅干しを食べることなんてないからと、さっそく土用干しを終えた梅干しを一個だけ試食。表面はだいぶ乾燥しているが、中はまだ果肉のジューシーさが残っている。僕にとって梅干しは「梅・干し」ではなく「梅干し」という一つの食べ物なのだが、やっぱり梅という植物の果実を加工したものだったのだと初めて納得。頭の中で梅酒と梅干しとがつながった。このままこの果肉が熟成してくれたらおいしいだろうな。

P1030840もう一つだけごはんネタ。最近あるところで茶粥の話を読んだので、試しに作ってみた。どうやって作るのかなと思いネットを調べてみたのだが、なんと和歌山では全家庭の半数近くで茶粥を食べているのだとか。どうもお茶は袋に入れていっしょに煮出すのが正しい作り方らしいが、袋がないので、まず鍋で水からほうじ茶を濃いめに煮だし、それを濾して粥を炊いた。
P1030838 ごはんにお茶という組み合わせ自体は、誰しもお茶漬けで体験したことのある組み合わせだが、お茶漬けとは似ているようでぜんぜん違う味だ。お茶で粥を炊いたのだからあたりまえなのだが、お茶にとろみがついているのがとても不思議。だけどお茶漬けとはぜんぜん違う深みもあり、なかなか◎。塩辛い漬け物がよく合います。

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2006.08.05

ホルモン千葉が引っ越した

P1030815数日前、久しぶりに京都に帰ってきた友人と先斗町を歩いていると、見慣れたのれんと提灯があるはずでないところにぶら下がっている。ホルモン千葉と書いてあるではないか。中をのぞいてみると店主の千葉さんもいる。話を聞けばつい最近、以前の木屋町の店から、ここ、木屋町四条下がる東側(もしくは先斗町四条下がる西側)に移転したのだとか。その日はごはんを食べたあとだったので、さっそく昨日出直してみた。

P1030812店内は広くなったけど、メニューや価格、カウンターのみといったところはほとんど以前と同じ。いつものパターンで、刺身(今回はハツ刺し)、おまかせコース。写真はシメのうどん。いつの間にか予約の取れない店になっていたので、広くなって入れるチャンスが増えたのは嬉しいことかも(ちなみにこのブログへのアクセスの検索ワードは、「ホルモン千葉」がだんとつトップ)。相変わらずの濃厚たれ焼も健在。でも個人的には千葉さんに肉を焼いてもらえなくなったのがちょっと残念かな(笑)。ごちそうさま!

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2006.08.04

愛され松子の小さな世界

P1030805旅行に出かけるちょっと前、映画『嫌われ松子の一生』を見に行った。紋切り型を上手に利用して造型された登場人物たちはどの一人をとっても薄っぺらく、それをあからさまにやっているから見ていてとてもコミカルだ。本来悲劇であるはずの物語が悲喜劇として描かれているように感じられるのは、歌や踊りのせいももちろんあるが、この紋切り型の利用によるところ大ではないかと僕は思う。しかし僕が松子の世界を小さな世界だというのはこの意味においてではない。松子の世界(作品『松子』の世界ではなくキャラクター松子の世界である)が小世界に思えてくるのは、その世界にはたった二つの人種しか存在していないからである。一つは愛されて育ったがゆえに愛されていることに気がつかない人間であり、もう一つは愛されたことがないゆえに人を愛せない人間である。主要な登場人物の中で唯一の例外はおそらく一人しかいない筈である。その意味において松子の世界は、(けっして悪い意味でなく──小説や映画はすべてそうなのだから)現実を極端に矮小化した世界なのである。そしてこの矮小化は、先に触れた紋切り型の使用とは、同じ方向性の動きに見えながら、じつは正反対の作用をもっている。紋切り型は悲劇にリアリティーをわれわれ観客のために希釈してくれるのに対して、この矮小化はけっしてそのような効果をもたない。松子の小さな世界は、ステレオタイプなとっても小さい世界なのに、とても重たいアクチュアリティーをもってわれわれに迫ってくるのである。ほんとうであれば斜に構えた現実のカリカチュアになるはずの世界像が、われわれにこんな大きいアピールをもつのはどうしてなのか。

P1030723そんなことを考えているうちに旅行が終わり京都に戻った。帰京の翌日、僕は35歳になった。去年も書いたけれど、誕生日の過ごし方は毎年同じ。K御大のお店で中国料理を頂き、I師匠の店でお酒を頂く。それにつきあってくれる人がたくさんいる。こんな嬉しいこと、僕には他に絶対ないです。ほんとうに感謝しています。

P1030727今年もケーキを頂いた。ルール違反なのだけれどI師匠のお店で失礼。モザイクなしでブログにのせられるようにと(真偽のほどは不明)、名前はmanavic(笑)。そういえば去年は直前にここで書いた記事にちなんで「Augustus 様」と書いたケーキを頂いたのでした。後ろに醤油とぽん酢がおいてあるけども、それで食べたわけではないのでご心配なく(笑)。

P1030774I師匠の店の閉店時間をずいぶんすぎたころ、あいかわらず忙しいIがゼナをもって顔を見せてくれた。それからシャンパンで乾杯。I師匠に頂いたシャンパーニュはAndré Clouet。I師匠は、ほんまは木箱のやつがあるはずやねんけどなと仰っていたが、この藁の包みがとても嬉しい。ここで今までどれだけシャンパンを頂いただろうか、自分の家のフルート・グラスよりも、ここのフルートのほうが手にも唇にもよくなじんでしまっている。

毎年みんなに誕生日を祝ってもらう僕は、孤独を恐れる松子とじつは同じ種類の人間なのかもしれない。松子の小さな世界がアクチュアリティーをもつのは、僕自身の中に身につまされる部分があったからであり、僕だけでなくそれが笑えるカリカチュアでないような時代にわれわれが生きているせいだと思う。でも松子はいけない。今年、K御大に、ええのう、みんなに祝ってもろて、といわれた。ええのうという言葉にもちろん羨む気持ちなど込められてはいない。僕を愛してくれる人がいて、それを見守ってくれる人がいるということである。これまでどれだけ愛してくれた人に不義理をしてきたことか。やっぱり松子じゃいけない、愛してもらうということの意味を忘れてはいけない。気がつかないなんてほんとうにダメだ。愛する人のために生きるだけではなくて(それはあたりまえだ)、愛してくれる人たちのためにがんばろう。みんなほんとうにありがとうね。

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2006.08.03

おみやげ

P1030718写真は旅行から戻った翌日の朝(というか昼)ごはん。飽食三昧の一週間を反省しつつ麦とろ。今回も例のイタリア産の大麦が入っている。タイトルのおみやげは何かというと、まずおひつの手前に見えている、怪しい色のゼリー状の物体。これは尾道名物のいぎす豆腐というもの。ご当地では長寿食として食べられているのだそうだ。これを買ったお店のおばちゃんが現物を見せてくれたのだが、いぎすというのは海藻の一種。おばちゃんは、まあ海藻で作った胡麻豆腐みたいなもんです、と説明してくれたが、実際に食べてみると、材料を豆腐様に固めたということ以外には胡麻豆腐との共通点はいっさい見いだせない。胡麻豆腐と同じで豆腐は使っていないのだろうと思っていたが、原材料を見ると、いぎす、大豆……とあるから、ある意味では胡麻豆腐より豆腐に近いのかもしれないが、胡麻豆腐は味もどことなく豆腐を思わせるところがあるのに対して、こちらはまさに海藻ゼリー。酢味噌で頂くのだが、醤油をたらすとよりいいようだ。味を求めてではなく、あくまでも健康のためと割り切って頂くのがいいかと。もう一つのおみやげはおひつの中の杓文字。月並みだが宮島で桧の杓文字を一つ購入。僕は旅行に行ってもまずほとんどおみやげを買わない人間なのだが、食べ物は別。今回もまだいくつかあるので、小出しにいきます(笑)。

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2006.08.01

京都へ

P1030691P1030689十七食目は尾道ラーメン。前日の晩出かけた季らくさんで教えていただいた「みやち」というお店。けっしてラーメンが好きではなかった季らくのお母さんが、ここのラーメンだけは好き、というお店。ラーメン自体はごらんのとおりシンプルな澄んだスープのラーメン。たぶん鶏ガラ+魚介系のだし。魚介の風味はいかにもおのラーだが、平打ち麺ではなかったり、背脂も入ってなかったりと、いわゆるおのラーのスタンダードとは違う部分も。いずれにせよ優しい味で、二日酔いの体にスープが心地よくしみこんでいくようだった。

P1030693その後尾道市内をぶらぶらして駅へ。鈍行でのんびり帰ろうかとか、倉敷に寄ろうか、高松に寄って讃岐うどんでも食べようかなどといろいろ話していたのだが、駅に着いてみると隣の糸崎駅で架線が切れたため山陽本線は上下線とも止まっているというではないか。ならばしょうがないということで、タクシーで新尾道駅にまわり新幹線で帰ることに。新幹線に乗ってしまうと、こだま、のぞみと乗り継いで2時間足らず。あっという間に日常に連れもどされてしまいましたとさ(笑)。

P1030702P1030700京都駅で新幹線のテールランプを見送り、長いようで短かった今回の旅行もほんとうに終了。なはに始まり期せずして500系のぞみで終わることになった今回の旅行の移動距離は、ぜんぶで2133.5km。ちょっと移動が多すぎたような気もするけど、たくさんの街をまわり、たくさんのおいしいものに出会い、たくさんの面白い人たちにめぐりあい、充実した旅行でした。次回の旅行はみなさんとぜひご一緒に! 夏はまだ始まったところですから(笑)。

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